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エッセイ 「子供は見ている」

            子供は見ている

団地内の通路は登校路でもある。小学生が三々五々通り抜けて行くその時間は活気がある。
一人の男児が坂下から登ってくるのが見える。私は逆に坂下のゴミ集積所に向って家庭ゴミを捨てに行く。小学生の男児は通路の右側の空間へ何やら興味の目を向けながら歩いている。
一方ゴミを捨てに行く私は散乱しているゴミのチェックに周囲をキョロキョロしながら歩いている。
 私は右側の植え込みに夕べの春二番のお土産、ビニール袋を発見した。いつものように拾い上げて持参のゴミと一緒にまとめていると、
「あ、えらいですね」
と坂を登ってきた登校児に声をかけられた。
私は驚いた。なぜなら少し前、その男児は私とは反対側で道草を食っていたのを目撃しているので、私のゴミを拾う動作には気がつかない筈という固定観念があったのである。
しかもゴミ一つ拾う一小母さんの行為に「えらい」と感じ、更にほめ言葉をかける勇気に私は驚いた。
「ええ、ゴミを拾いながら歩いているの」
胸に燃える温かい灯を感じながら学童と向き合って真剣に応えた。
子供であって社会人という自覚のある子供、その目をじっと見て私は「行ってらっしゃい!気をつけてね」と声をかけた。
あどけない男児は頷いて学校へ向った。

 私は眩しかった。心の中を見られたような気がした。と同時に恐ろしかった。私がゴミを拾ったのは子供に見せるためではない。拾う行為が「えらい」行為と子供が受け取るとも思わなかった。すべての子供がそのように感じるとも思えず、その子の感受性は母親と家族の関係にも思いを馳せる光景だった。

 子供の目は青い空のように清らかで、生きる力は全身が目となって瞬時をも逃さない。だから大人たちは背中を見ている子供達の前には真剣でなくてはならない。
「未来の日本を頼むわね」
と言わなかったことを後悔した。
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さり気なくゴミを拾う大人の自然な行為と、すなおに人の善意を見抜く子供の視線が絡み合って、大げさにいえば、なにか忘れていた日本の原風景を思い出させてくれるような気持ちにさせてくれる随想文で、読む人に感動を与えてくれる名文でした。秀作です。
                       花見 正樹
Posted by: M.hanami |at: 2012/05/03 2:54 PM