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エッセイ「優しい時間」

それはボランティアの日のこと。
いつものように琴を弾く準備をしているとお弟子さんのお年寄りが息子さんに連れられてやってきた。
お年寄りは一週間前のレッスンのことはとうに忘れている。

「どこへ行くんかい」
土曜日になると息子は母の住むグループホームを訪ね、別棟のボランティアルームへ連れてくる。母親は86歳、息子は定年退職の身である。

私の顔はさすがに覚えていてくれる。会うとたちまち笑顔になり、親しげに手と手を合わせ挨拶する。だが何故ここに連れて来られたかはまだ分からない。

やがて奥に並べた琴の前に来るとけげんな顔をして
「あんた弾くんかい?」と息子に聞く。
あきれた息子は「あんたが弾くんだよ。さ、爪はめて!」
「ようせえへん」と言いながら右の親指、人差し指、中指に爪をはめ、私の前に差し示す。
「ん?」と私は目を大きくして見つめ、爪をはめた手を差し出すと、間違いに気づき、ひょうきんなしぐさで後ろ前を正す。

ウォーミングアップ
親指で手前から向こうへコロリン、今度はこれ、と言って人差し指を差し出すと中指が出てくる。向こうから手前へコロリン、コロリン、…
暫く遊んでいると、いい音が出てきて満足する。
「こんなのうちにもあったかね?」
「ないよ!」
母親の問いに息子の合の手が入る。
母親の脳に回想の回路が働いたと感じ、ちょっと試してみることにする。
「どこに置いてある?床の間かな?それとも押入れかな?」
しばらく首を傾げているが思い出せない。息子は子供の頃、琴というものを見た記憶はないと言う。だが琴を弾くしぐさは初体験とは思えず、子供の時代に多少習わされたとも思える。

大きな字に書き換えた楽譜を広げると、|十◎九◎|十◎九◎|十九十九|八◎八◎|と弾きだす。
「お、今日は調子がよさそう」と思う次の瞬間、弦が判らなくなる。
すると息子はラジオの壊れたアンテナを指し棒代わりに持参し、ここだここだと示す。だが代用のアンテナは細くて母親には見づらい。
母親も変な音にはすぐに気づき、
「ちょっと待ってくださいよ」と言って根気強く挑戦する。
曲の最後に二と七を同時に弾く合わせ爪がある。ここでまたひと悶着が起こる。
息子が「『二』と『七』を一緒に言うてみ!」という
しばらく怪訝な顔をしていたが、やがて二と七のオクターブ音を一緒に弾くことを理解する。これは凄いことであるが次の瞬間もう忘れ、また同じことを繰り返す。
このやりとりに息子はもう慣れているが、身を返して外の田園風景に目を移すと、母親は空かさず反応し、「あっち向いちゃった!」と息子に呆れられたと笑う。
もしかしたら、母親はボケた振りをしているのではないか、遊んでもらっているのは私たちの方ではないかと錯覚する。

「うらやましい」と私は言った。
ひとり暮らしの私にはこの親子の関係が非常に羨ましく感じた。
だが難聴も進んできた母親には聞こえない。大抵は私の口の動きと動作で理解しようとしているが、息子に言わせると適当に話を合わせて笑ってごまかすずるい方法を覚えたのだと言う。
「うらやましい」がどうしても伝わらない。
すると息子は母親の右の耳をひっぱって口を当て「裏山が火事だって」と通訳する。

 これはまいった。私は分かってもらうべく、「お母さん、息子さん、一緒、いいなあ!」とジェスチャーする。
「うらやましい?」
分かってもらえた。何かを連想するような笑みを浮かべてしばらく黙している。すると息子が空かさず、
「何笑ってんだ。もう一度ほらやってみ!」とアンテナで頭を叩く。

しかし今度は口三味線となる。
私の弾く音にあわせて口で歌う。時々不明になりゴモゴモ誤魔化すがメロディは合っている。そして最後の二と七の合わせ爪でまたひと悶着となる。

とにかく一曲終わって私は大きく手を丸にして合格と言う。
「家でけいこせんとあかんな」と恥ずかしそうに言う。
『さくら』や『荒城の月』の合奏が出来たのは三年前、徐々に認知症は進み、年輪を刻んだ笑顔の子供に戻っている。
これ以上無理強いしても意味が無い、琴から離れ、私と向かい合わせに座る。
対面するとお互いに恥ずかしい。よろしくお願いしますと頭を下げ、手を握る。すると「せっせっせ」となる。夏も近付く八十八夜 トントン …
二人は思いっきり手を叩く、歌い終わると手に血流が回って真っ赤になる。さすり合わせると今度は「指回し」となる。親指と人差し指は何とかできるが薬指と小指がどうしても出来ない。他の指を押さえてあげると笑い出す。
「あんた上手やねえ」と言う。
次はお手玉、玉手箱を開けると手づくりお手玉が数種入っている。毎回「綺麗やねえ どないするの?」と聞く。二つ渡し上に投げると直ぐに「一番初めは一ノ宮、二は日光東照宮 三は讃岐の金毘羅さん・・・・」
とお手玉の歌が出てくる。
何故か私は度々落としてしまう。雑念が邪魔する私とは異なり母親は集中してお手玉の世界に入っている。だが稀に落とす時もある。そんな時私は喚声を上げて万歳をし、「勝った!」と喜ぶ。母親も自分の負けを悔しがりもせずに笑い「楽しいなぁ」と言う。
遊びの最後は「あやとり」。相手の組んだ糸から次の形を紡ぎ出してゆく。上手くいくと川や筏などの形が次々と展開されていく。私も夢中になって遊ぶ。

「お楽しみ中ですが、もうそろそろ時間です」
息子の声に母親は残念そうに「もう帰るんかい!」と言い、「ああ言うとるが…」私を残して帰るのを気の毒に思っている様子である。
遊んでもらっていたのはやはり私の方だったのかと自覚し、優しい時間が終わる。

何度も「おおきに」と繰り返し、合掌する。
「仏さんじゃないんだよ」と息子が言う。
財布は?眼鏡は?忘れ物はないかと気にする母親に「何も持ってきてないよ」と言い、腕を組んで帰っていく。

                                      ゆう

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| comments(1) | - | pookmark▲ top
Comment »Post New
ボランティアの素晴らしさ優しさが伝わってきます。
 教える側、教わる側の心の動きが、手に取るように詠み手に伝わってきて心打たれます。
 尽す、尽される・・・どちらも幸せですね。
 この一文で心がほのぼのとしました。
 やなぎゆうさんに感謝です。
Posted by: M.hanami |at: 2012/05/03 4:24 PM